ヒストリー

もっと強く、もっと上に

小学校〜高校生活

私は1987年に長野県で、兄姉一人ずつの三番目として生まれました。末っ子だった為か、両親は私を放任し好きなようにさせてくれたように思います。

小さい頃は身体も細く気弱で口下手だったため、学校でも友達とはしゃいだりできない引っ込み思案な子供でした。その為かいじめられっ子でしたが、心の中では「強くなりたい」と思っていました。勉強も苦手で好きな教科は体育。しかし、ミニバスケットをやっていましたが絶望的に球技に向かず、右往左往するばかりでした。バスケットでは”ゴリ”にはなれなかったようです。

また、今の姿からは意外かもしれませんが、肉が苦手でした。母はそんな私の為に、私だけ肉ではなく卵やツナをメインとした食事を作ってくれていました。今は肉を克服しましたが、食事で手間をかけてきた母には感謝しています。

中学に入ると兄の影響で剣道部へ入りましたが、そのことからアダ名が「剣道」になってしまいます。しかし練習には身が入らず、隣の柔道場にあったマシンで筋トレばかりするようになります。そのせいもあり、剣道は強くならなかったものの、中学3年になる頃にはかなりゴツい身体になっていきます。

高校は進学校行きを希望しましたが、筋トレばかりやっていたせいか偏差値が足りず機械科の高校へ進むことに。不良ばかりの学校でしたが、体格のおかげで絡まれることはなく、喧嘩とは無縁で過ごすことができました(女性とも無縁でしたが...涙)。ちなみに高校時代のアダ名は「マッチョ君」。細く気弱でいじめられていた小学生の頃からすると大きな変化でした。

家族出演の動画はこちら!

日体大へ進学〜五味隆典さんのジムに入会

大学は日本体育大学体育学部体育学科へ一般入試で入ります。予備校の先生からは「お前が受かったら奇跡だ」と言われましたが、勉強も頑張ったのです。

そして入学して間もない頃、友人から「あの五味隆典のジムがあるから見にいこうぜ」と誘われます。当時は格闘技には興味がなく、PRIDEも見ていなかった私は五味隆典さんが誰かよく分かっていませんでしたが付いて行くことに。

ところが、実際に練習を見せていただくと「こんな世界があるのか!」と驚き興味が湧きます。結局友人は他のジムに入りましたが、私は五味さんのラスカルジムへ入会します。

後で知りましたが、ラスカルジムは五味さん人気で入会希望者が殺到していたため、審査を通った経験者だけしか入会できなかったそうです。しかし、私が行った時はちょうどひと段落した時だったようで、運よく入ることができました。

PRIDEで芽生えた「プロ格闘家になりたい!」

入門から3ヶ月が過ぎた頃、大晦日に開催される「PRIDE男祭り2006」で五味さんと石田光洋選手の試合が決まります。

すると、それまで隅で筋トレばかりさせられていた私に五味さんから「お前、坊主だな。石田も坊主だからお前打ち込みの相手をしろ」と声がかかります。格闘技未経験かつ入門から間もない私が、坊主頭との理由で試合前の五味さんの練習相手をすることになったのです。

そこからは地獄です。伝説の木口道場仕込み、かつ試合前でキレキレな五味さんのレスリングで揉みくちゃにされる日々。これでもかと言うくらいボコボコにされましたが、何とか必死に喰らいついていきます。結果、それを認めていただいたのか試合当日のチームメンバーに入れていただき、大晦日のさいたまスーパーアリーナの花道を一緒に入場させていただくことになりました。

そこで見た光景は圧巻でした。大観衆の視線と歓声を一身に浴びて花道を歩くスーパースター五味さん。初めて「自分もプロ格闘家になりたい!」と思った瞬間でした。試合は1ラウンドで五味さんのKO勝利。嬉しいと共に私の進路が見えた気がした大晦日でした。

心身に刷り込まれた五味イズム

五味さんには時間と礼儀、競技への厳しさも教えていただきました。

五味さんが練習を始められると空気がビシッと張り詰めます。緊張感のある激しい練習からは「トップになるにはここまで追い込まねばいけないのか」という事を学びました。

また、ある年の全日本アマチュア修斗選手権に出場した時。私が時間を間違え会場への到着が試合直前になった時がありました。私が来ていないとの報告はジム代表である五味さんの所へも入ります。急いで準備を済ませ、鬼の形相の五味さんのところへ行き「すいませんでした!」と頭を下げたところへ五味さんの鉄拳が炸裂。物凄い衝撃に頭から出血し、試合前なのにドクターのお世話になることになりました。そしてその様子は会場中からの注目を浴び、恥ずかしいやら情けないやら。。。そんな心身のダメージもあったせいか試合も負けてしまいました。

一方で私を気遣ってくださる優しい方でもありました。

試合に負けた時は「頑張っていたから勝ち負けはしょうがない」というスタンスで接してくださり、負けた翌日には心配して家まで様子を見にきてくださったこともありました。練習を離れたお酒の席では、特に優しかったのも良い思い出です。

今だに五味さんにお会いすると緊張で固まってしまいますが、五味さんは私をプロの世界に導いてくださった永遠の師匠です。

修斗でプロデビュー 〜 堀口恭二と佐々木憂流迦

大学在学中に中高の教員免許は取りましたが、大学卒業と同時に就職はせず本格的にプロを目指すことを決めます。

一人暮らしをしながら、居酒屋・ファミレス・日雇などのバイトを掛け持ちし練習に専念する日々。そして、2009年12月に開催された東日本アマチュア修斗で優勝しプロ昇格することができます。ちなみにその大会には堀口恭二選手も出場しており、出入りの速さと圧倒的な強さが衝撃だったのを覚えています。

そして翌2010年、修斗にてプロデビューを果たします。

同期には堀口選手の他に佐々木憂流迦選手も。二人とも圧倒的強さで勝ち上がり修斗新人王になりますが、私は新人王の決勝で下石選手に敗れ準優勝。その後、ランキングを駆け上がっていく両選手との差は開いてゆき、同期がメインのイベントに私が前座で出ることもありました。そして二人はその勢いのままチャンピオンになり、ついにはUFCにまで辿り着きます。

本人たちは全く気づいていないと思いますが、遠くから輝く同期たちに嫉妬し一方的に意識する日々でした。

主戦場をパンクラスへ 〜 葛藤の日々

2013年、主戦場をパンクラスに移します。連勝を重ねランキングも上がっていきましたが、北岡悟さんとの一戦に負けてしまいます。

そしてその頃、五味さんが地元へジムを移転することになったタイミングで「お前フリーでやったら?」と言い渡されます。私自身はジムが遠くなっても着いて行く気持ちでしたが「フリーになって見えることもあるんじゃない?」とのアドバイスを受けフリーを決断します。

この頃から、マモルさんやリオン武さんと練習させていただくようになりました。

また、長年パンクラスのリングドクターを勤められている、武蔵村山さいとうクリニックの斎藤先生から「格闘家を応援しているのでうちで働きながら現役を続けたら?」とお声がけいただき就職します。仕事を世話してくださったり、その後石渡さんとも引き合わせてくださった斎藤先生も恩人の一人で感謝しています。

その頃、ベラトールの強豪ヒカルド・チルロニ選手と戦って勝利します。強い外国人相手に勝ったこの試合は、自信をつけることができた大きな試合でした。

しかしその後、負けが続きます。階級を下げても上手くいかず「このまま上にも行けず、現役をグダグダ続けても良くないのか・・・」と悩んだ時期でしたが、斎藤先生から「石渡君の練習が厳しいけど良いみたいだから行ってみたら?」と紹介していただき、石渡さんの練習に参加することになります。

実は石渡さんとの最初の接点はもっと前で、私がバイトをしていた深夜のファミレスに偶然訪れた石渡さんから「アキラ選手ですよね?」と声をかけられた時でした。しかしその時の私は石渡さんを存じ上げず塩対応をしてしまいます。石渡さんがメインの大会に自分も出たことがあるにも関わらず大変失礼をしてしまい、今だに責められます。笑

石渡”漢塾”入り〜RIZIN出場!

石渡さんから本格的に指導を受けるようになってから戦績が上向きになります。

石渡さんが立てた対策通りに練習し、試合で実践するとピタリと当たります。それまでは「押し込んでコントロールし判定勝ち」スタイルだったのがKOや一本で勝てるようになってきました。石渡さんの分析と対策の精度は本当に凄く、選手自身が試合で動きを実現できれば高確率で勝てます。ご本人のキャラクターから気合いと根性タイプと勘違いされているかもしれませんが、石渡さんは本当にファイトIQが高い方です。

そして、2021年10月にRIZIN参戦の機会が来ます。しかも相手の阿部大治選手のセコンドには五味さんが。色々と運命を感じましたが、石渡さんの作戦通りに戦い勝利することができました。試合後、五味さんへ挨拶に行きタオルで頭を軽く叩かれた時には、感謝と恩返しができた気持ちになりました。

また、家族もRIZINのような大舞台に上がれることを喜んでくれ、今まで一度も試合を見に来たことがなかった兄が応援に来てくれたのも嬉しかったです。その後もパンクラス暫定王者獲得なども続きましたが、自分が活躍し注目を浴びることで、周囲の方々が喜んでくださることを実感することができました。

YouTube出演で知名度アップ!?

また、石渡さんのYouTubeチャンネルにもレギュラー出演させて頂けるようになりました。

軽快なトークは苦手なのですが、私の腹パンシリーズは多くの方に見ていただいているようで、大阪の街で「お腹殴られるYouTuberの人ですよね!」と声をかけられ驚いたこともありました。

以前より知名度が上がったのを感じますが「まだまだサインや写真を求められる選手ではないのにありがたい、もっと頑張ってふさわしい選手になりたい」といつも自戒すると共に、私の新しい一面を見つけていただいたことにも感謝しています。

ちなみに、腹パンチャレンジは2023年2月現在も不敗で続いていますので、腕に自信のある挑戦者をお待ちしています。

今後について

2022年には松本光史選手との一戦に勝利し、パンクラスライト級の暫定王者にもなることができました。多くの方に喜んでいただけましたし、ひとまず形(=ベルト)がある結果を残すことができましたが、まだまだ強い人はたくさんいます。

年齢的にもこの先の現役生活が長い訳ではありませんが、現日本最強のサトシ選手にも挑戦し勝ちたいと本気で思っています。その為にも、もっと強くもっと積み上げて、頂点を目指す気持ちを持って邁進していきます。そして、応援してくださる方々が私の闘いを見て励まされ、皆さんそれぞれのステージで一緒に頑張って行けたら嬉しいです。そして、お世話になってきたスポンサーの皆様のビジネス面にも貢献していけるファイターになりたいと思っています。

また、趣味であるお菓子作りでも新しいオリジナルレシピを開発したいと思っています(今一番のオリジナルレシピはパンプキンプリンです)。プリンの他にもパウンドケーキやクッキー作りに挑戦していますが、こちらも試行錯誤の日々です。

これからも格闘技にお菓子作りに頑張って参りますので応援の程、よろしくお願い申し上げます。